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人生には「運ぶ命」と「運ばれる命」がある。これを「運命」という。 ある人が希望の企業に就職したいという意志で、自分の命を「運ぼう」とする。 望み通り入社できたとき、社内でどの部署に配属されるかは、自分の意志で「運ぶ」ことはできない。「運ばれる」のである。 また、ある若者は志望する高校受験に失敗し、私立に入学した。そして三年後、この若者は、私立の推薦を受けて志望する大学へ進学することができた。志望高校の受験に失敗して嘆いた三年前と現在の結果に「運ばれる命」を、実感している。 目先の結果にとらわれて、喜んだり悲しんだりしてはいけない。 それこそが「運ばれる命」なのだ。 互いに助けあい、励まし合って明るい家庭を築くことが出来るのも職場や地域、近隣の人々との人間関係も、すべて「運び運ばれて」、いまここにある。 人生の真実は力まない忍耐・辛抱・努力である。 忍耐ができる、辛抱ができる、努力ができることが、人間の徳であり才能である。 |
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二十一世紀は“延命”の世紀といわれているように、遺伝子や臓器移植など“生命”をテーマにした科学や医学の進歩には、目を見張るばかりである。 少しでも命を長らえたいという思いは、人間なら誰もが抱く願望である。 いま科学や医学は、そんな人間の願望にこたえようとしており、人々にとってこれほど素晴らしいことはない。 科学や医学の進歩は、人間が生きていくうえで素晴らしいことには違いないが、しかし手放しで喜んでばかりもいられない、深刻な問題が進歩の裏に潜んでいるということも忘れてはならない。 先頃、臓器移植の問題を取りあげた「ハート」とか、「オール・アバウト・マイ・マザー」という、ヨーロッパの映画が話題になった。 愛する一人息子が交通事故に遭い、救急車で運ばれたが、やがて“脳死”と判定され、息子の臓器が移植された。 臓器の移植先は秘密になっているが、息子のことが忘れられない母親は、その秘密を破って臓器の移植先を探り出し、息子の臓器をもらった人物に会いに行く。 愛するあまり息子の死を受け入れられない母親は、息子の臓器が移植されている人物に、ストーカー的行為を繰り返すというストーリーである。 臓器が、他人の肉体の中で生きている限り、息子の死を受け入れることができない母親の悲しみが、実によく描かれた映画である。 臓器の移植を受けて、元気を回復した患者が、その後の生活の中で、自分の体内に別な生き物がいるかのような違和感を感じると、不安を訴える症例もある。 たとえ、臓器移植という素晴らしい医学の進歩があっても、提供する側、受ける側、双方の心が癒されなければ、幸せとはいえない。 いま、現にこうして生きている事実に感謝と喜びに目覚め、自分の力であって自分の力ではない絶対他力の心境こそ、癒しの原点である。 |
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不安定な時代 家族が手をたずさえ 明るい家庭づくり |
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